ろーぜのブログ

好奇心旺盛なえんじにあ。

阪大の大学院に外部から受かった話【〜出願】

今回、多くの人の支えがあって大阪大学工学研究科に外部から合格することができました。 自分自身も受験するにあたってこういった合格体験記に助けられたので自分も残しておこうと思います。

本ブログでは、以下の3つの章に分けてまとめていきたいと思います。

  1. 出願まで
  2. 学習編
  3. 受験〜合格発表まで

本記事は「出願まで」編です。

  • 学部は地方国立工業大学の電気電子専攻
  • 研究室では物理層の通信方式についてシミュレーションなどを行なって研究(OFDMとかMIMOとか)
  • GPAが2.7/4.0と特に良いわけでもない
  • 4年時には基礎科目を完全に忘れていた

こう言った基礎情報を前提に本記事を参考にしていただけると幸いです。

出願を決めるまで

色々あって合格をいただいた研究室で研究をしたいと考えるようになったわけですが、正直一時期諦めていました。 主な理由は以下の二つです。

  1. 私が所属している大学の学部は院まで一貫したコースとなっており、本来ならば推薦扱いで院試を受けなくても院に進めるため、推薦を蹴る勇気がなかった
  2. 学部時代は大学生活をエンジョイしすぎて基礎科目などの知識が欠落しており、勉強が間に合わないと思った

こうした理由から諦めかけた私ですが、3年の3月に阪大の大学院説明会兼研究室見学があり、どうせ諦めるなら最後に聞くだけ聞くかという気持ちで説明会に参加しました。

実際に説明会を聞いてみると心の奥底にあったこの研究室で研究をしたいという思いが再燃し、挑戦することを志すようになりました。 学部でお世話になっている研究室の先生にはお時間をとっていただき、自分のやりたい研究の内容を話した上で阪大への挑戦を後押ししていただきました。本来ならば全員がそのまま院に進むはずのコースであるにも関わらず快諾していただいたことに感謝しています。

こう言ったことがあり、出願を決めました。

勉強に関して

各科目の具体的な勉強方法については別の記事でまとめたいと考えているので、本記事では軽くどんな感じで勉強したかだけ書いておきます。

英語について

TOEICは学部時代から何回か暇な時に受けていて、最終的に745点のスコアのものを出願時には提出しました。 提出したスコアは4年時の5月に受験したものですが、3年までのコツコツの成果もあり、特に対策をしていませんでした。 個人的にTOEICは慣れの部分が大きいと考えているので、コツコツ受けておくのがいいと思います。

と言っても噂によるとTOEICの点数は院試の全体の点数の10%強らしいので、基礎や専門で満点取れるぜぇって人はそこまで時間を割かなくてもいいかもしれません。

基礎科目について

基礎科目は、複素関数論、線形代数フーリエ解析、電気電子回路Ⅰ、電磁気学Ⅰを選択しました。 受けたのは情報通信工学コースなので、数学3題、電磁気、電気回路から2題という縛りはありませんでしたが、併願した大学院(自大)の科目の兼ね合いもあり、こう言った選択になりました。 勉強自体もこの科目にプラスして軽く微分方程式をやりましたが、過去問を一度も解いてないのでやってないと言っても過言ではないです笑

が、5科目に絞って学習をしているとわからない問題が出題された時確実に詰むので6、7科目は勉強しておくと安心だと思います。 余談ですが、学部時代は「複素関数論」、「フーリエ解析」を履修していなかったため、この二つはほぼ1から勉強しました(フーリエ解析は電気回路や研究室で少しやりましたが)

専門科目について

専門科目は、情報セキュリティ、情報理論、データ構造とアルゴリズムを選択しました。 学部の授業でこれらは真面目に履修しており、割と頭に入っていたので、基礎科目と比べるとさほど時間を割きませんでした。 と言っても、情報理論は符号化らへんが不安だったので割と勉強しました。

配点について

噂によると、基礎科目一科目40点×5、専門科目一科目50点×3、TOEIC50点の合計400点満点で200点くらいあれば受かるかなーというラインらしいです。

思いつきで描き始めたものなので稚拙な文ですがお許しください 次は、各科目どのように勉強していたかをまとめていきます。

メモ

お久しぶりです。ろーぜです。

今まで、読書に関するブログが多かったですが、ゲーム開発等のブログも書いていきたいと思います。先日、オリジナルゲームを作成したのですが、今回新たに作成するにあたって、ブログにその軌跡を残していきたいと思います。

というお知らせです。

「面白いの作り方」

皆さん、お久しぶりです。ろーぜです。以前、「面白いとは何か」という本を読みましたが、今回はそんな面白さを生み出す方法を学ぶべく「面白いの作り方」を読みました。最近、ゲームなど作ることが多いのですが、そういった中でいかに面白い企画を作るかということが僕の中で課題であったので今回この本を読んで勉強になりました。

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「面白い」のつくりかた

仮説づくり

目標

斬新な面白いアイデアを出す方法を学び身に着ける。

目標までの道筋

面白いとは何かを学び、どのようにアイデアを生み出すべきか学ぶ。

スタート地点

面白いとは何かについて考えたが、どのように生み出すかはわからない。

整理読み

第1章

面白いとは差異と共感がそろって初めて生まれるものである。

第2章

イデアとは既存の物の組み合わせであり、制約と必然性から生まれる。

第3章

イデアを創造するために学びが必要であり、自ら考えることだ。

第4章

演出とは場や時間を管理し効果的な結果をもたらす状況にすること。

第5章

わかりそうでわからない状態が1番魅力的であり、もやもやがいい。

第6章

3幕構成が大切であり、たいていの問題提起は人間とは何かに帰着する。

第7章

いかに効率よく情報を伝えるかが重要であり受け取る情報量が大切。

第8章

動機が一番大切であり、前のめりするマネジメントが大切である。

第9章

制作者の妄執こそが面白い作品を作るために重要である。

本全体のまとめ

面白いとは受け取り手の脳内との差異と共感によって生み出される。時代の移り変わりに従い、全くの新しいものを生み出すというよりは既存の物同士をうまく掛け合わせることで面白さが生まれる。制約と必然性から掛け合わせが生まれる。また情報量が多ければ多いほどいいわけではない。制作者のモチベが一番大切であり、妄執するべきである。

最後に

 私は最近とあるITインターンシップを受けていたのですが、そこでも同じように面白さ、アイデアの生み出し方を学びました。せっかくこのように学ぶことができたので、面白いものが生み出せるように実践していきたいです。またそれにあたり、ゲーム制作のブログも増えていこうと思います。

 

最高の雑談術

今回は皆さん大好き(?)外山滋比古氏の「最高の雑談術~乱談のセレンディピティ~」を読んだので、その内容をアウトプットしていきたいと思います。

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最高の雑談術-乱読のセレンディピティ-

仮説づくり

目標

最高の雑談術を身に着けて、コミュニケーション能力を高める。

目標までの道筋

セレンディピティを起こすための雑談術を知り、どうコミュニケーションをするかを学ぶ。

スタート地点

聞く力が足りない。聞き上手になりたい。

整理読み

目の思考・耳の思考

日本は古来より目で考える人種であり、耳で考えることに劣る

乱談

新しいことに好奇心旺盛の者たちと雑談している時に生まれる

セレンディピティ

文系学問において、乱談こそがセレンディピティを引き起こす手法

乱読のセレンディピティ

乱読によってセレンディピティがおきる可能性は否定できない

談笑の妙

読書は受動的であるが対話では楽しさが生まれ発見が生まれやすい

三人会

読書は受動的であるが、対話では楽しさが生まれ発見が生まれやすい

月光会

多様性を持たせた会話の場が大切であり月光会もその一つである。

文殊の知恵

乱談は3人以上ですることにより立体的コミュニケーションができる

脱線

話に脱線は必要であり脱線による笑いが話を面白くする。

呉越同舟

不思議な連帯感を持ち、雑談をすると新たな発見が生まれる

ブレインストーミング

その道の専門家同士でブレストしても新たな発見は起こりにくい

専門を超える

同種ではなく異種の専門家で乱談をすることが大切である、

触発

3人以上集まることで化学反応が起き思いがけない発見が生まれる

競争

会話が生まれたからと言って乱談をやめるのではなく続けるべきだ

乱調

正統派よりもある程度乱れていた方が面白さを持っている。

自家争鳴

自分の脳内で仮想的に乱読しても新発見する可能性がある

日本語・立つか寝るか

筆者は乱読によって普段意識しないことを意識しか投げることができた

不乱

会話の場がある程度乱れているとセレンディピティが生まれやすい

談吟行

心を自由にして語り合うことに価値があり吟行が新しい文化である

"よく学びよく遊べ"

学ぶだけではなく、遊ぶなど交流をせねば新発見はない

第4人称

一人称から三人称を超えた四人称という視点が新発見する為に重要

第5人称

第5人称は4人称に時間というベクトルが加わった物である。

本全体のまとめ

乱読もセレンディピティを起こす可能性があるが、可能性が高いとは言えずむしろ何も得られない時間を生み出してしまうこともある。その点、乱談の方が優れている。乱談といっても同種の専門家たちが話すのではなく、ある程度異なる分野の専門家が対話することで、新たな発見が生まれる。楽しい会話大切。

最後に

今回この本を読む前に乱読のセレンディピティを読みましたが、その続編ということでやはりこの本のキーワードもセレンディピティでした。乱読よりも乱談の方がセレンディピティを効率よく起こせるというのが筆者の一つの意見だとわかりました。乱談はもちろん一人ではできませんしそういう点では乱読の方が手軽だといえます。ただその分セレンディピティが必ず起ころうとは限らないとあって、一長一短です。

高校時代に読書会なるものがあり、各々が本を読み交流するという会だったのですが、今回の筆者の主張からすると、乱読*乱談を行う読書会はとても有意義だったのだと感じます。大学生となった今、高校時代のような機会はなかなかないですが、友人同士で開いていけたらと思います。

P.S.最近、ツイッターや本を読んでいて、冗長な文章は本当に読む気を削ぐな。と感じています。僕の文章も冗長になりがちなので、反面教師として簡潔にわかりやすく書いていきたいと思います。(なんかいい本ないかな)

 

乱読のセレンディピティ

お久しぶりです。コロナの影響で自宅に籠っているにも関わらず、読書ができていなかった探究者です。読んでいる途中で、この本を最後まで読み切る必要が本当にあるのかを考えた結果、途中まで読んで切り上げることにしました。読んだところまでまとめていきたいと思います。

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乱読のセレンディピティ

まず、この本を読もうと考えた動機です。主に2つあります。1つ目は、読書についての考え方を固めるためです。前回ショペンハウエルの「読書について」を読み、どのように本を読むべきなのかを考えさせられました。その考えを補強すべく、この本をチョイスしました。2つ目は、著者が外山滋比古氏であったことです。以前、外山滋比古氏の「思考の整理学」を読んで発想の豊かさに驚かされたので、そんな外山氏が読書についてどんな考えを持っているのか知りたくて読みました。

仮説づくり

目標

乱読のメリットを知り、「読書について」などの内容と照らし合わせてどういった読書形態が自分にふさわしいのかを考える。

目標までの道筋

乱読の良さを学び読書にどう取り組むべきか学ぶ。

スタート地点

乱読はするべきではなく、毎回自身の考えを持ちその補強材料として本を読んでいくべきである。

整理読み

本はやらない

本は身銭を切って読むものであり書評など気にせず乱読するべきだ

悪書が良書を駆逐する?

良書と悪書を見分ける力を養い取捨選択して良書を読むべきである

読書百遍神話

精読し、内容を忘れたからと言って無理に読み直す必要はない。

読むべし、読まれるべからず

無闇に活字を読み知識至上主義になるのではなく思考力も併せ持つ

風のごとく…

速読が至高ではないがある程度スピード感を持って読むべきだ

乱読の意義

ジャンルに拘らず未知の領域の本をどんどん乱読していくべきだ

セレンディピティ

乱読することによってセレンディピティが起きるため乱読すべきだ

「修辞的残像」まで

乱読をすることで修辞的残像が生まれ理解しやすくなる

読者の存在

能動的に本を読み思考しながらの読書がセレンディピティに繋がる

エディターシップ

書籍という一次的創造以上に読書という二次的創造が大切である。

母国語発見

三者の感想や意見を客観しすることでセレンディピティが生まれる

本全体のまとめ

乱読することがセレンディピティにつながる。乱読する際は、書評などにとらわれず、長期間かけて読まれるような名著を読むべきである。読んでいる途中に自身が考えていたようなものと違ったりしたら、乗り換えるということも一つの手である。内容を忘れたからと言って再度読む必要はなく、未知の領域の本を積極的に読んでいくべきである。

最後に

読んでいる時、ショペンハウエルと同じようなことを言っており、やはり名著を読むべきだと感じました。短期間において有名なだけではなく、長期間において有名な有意義な本を選択し身銭を切って買い、乱読していきたいと思いました。

読書について

非常にお久しぶりです。知の探究者です。(知の探究者って名前っぽくなくて替えたいと思ってお年頃)

今回は前回のブログでも、お話した通りショウペンハウエルの「読書について」という本を読んだので、アウトプットしていきたいと思います。

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読書について

まず、この本を読もうとした動機について述べていきたいと思います。

私は大学生になったころから、教養をつけるために読書をすべきだと思い、読書をしてきました。私は、多読を良しとして、読めば読むほどいいんだと自分で思っていました。実際、書店で並んでいる本に目を通せば、読書について書かれている本はほとんど、多読をよしとするものです。しかし、本当にそうなんでしょうか。読めば読むほどいいんでしょうか。そんな疑問が僕の中に湧きました。そこで、今回読書に批判的な本にこうして出合い、読もうと決めました。

ここで、一度著者であるショウペンハウエルについてまとめたいと思います。というのも、私自身読み始めるまで誰かわからず、調べたらかなり著名な人物であったからです。皆さん大好きなWikipediaを参照して、軽くまとめていきたいと思います。

ショペンハウエル(1788-1860)

世界を表象とみなしてその根底に働く「盲目的な生存意志」を説いた。この意志故に経験的な事象はすべて非合理的であり、この世界は最悪、人間生活においては意志は絶えず他の意思によって阻まれ生は同時に苦を意味し、この苦を免れるには意志の諦観、絶滅以外にないと説いた。この厭世観的思想は19世紀後半にドイツに流行し、ニーチェを介して非合理主義の源流となった。

 では、まとめていきたいと思います。

 仮説づくり

目標

読書について今一度見直し、自身が何のために本を読んでいるかを考え直す。

目標までの道筋

本を読むことに対して肯定的な本ばかりを読んでいたが批判的に書かれているものを読んで実際どうするべきなのかを考える。

スタート地点

読書こそ至高。読書最高。

整理読み

思索

本来は自ら思索するべきであり、多読に走るのは愚かだ。

著作と文体

簡潔に書こうとするあまり言葉の本質が失われている傾向がある。

読書について

読書は自分で思考せねば思考力が衰える。名著を読むべきである。

全体のまとめ

時間は有限であるため、悪書を読まずに良書を読むべきである。流行に乗って数年で忘れ去られるような本を読むのではなく、何年も読み継がれるような本を読むべきである。また、単純な多読を良しとせず著者が述べている意見に単純に乗っかるのではなく、自分dえ考えて読まなければ思考力が鈍ってしまう。

最後に

この本が私の考え方に与えた影響は前回のブログで書いた通りです。もちろん、この本でさえ、ただの名著の一冊に過ぎず、鵜呑みにしていては、他人の思考法にのっかる愚かな読者となってしまいます。自分の考え方をちゃんと持って、本を読んでいきたいと思います。

MEMO(今後の指針)

今、私は、ショウペンハウウェルによって書かれた「読書について」という本を読んでいます。

本の内容は、おいおいまたこのブログで書いていこうと思うのですが、読んでいる現段階で色々考えることがあるので、メモとして、このブログに書いておきます。

私は、今何のために本を読んでいるのでしょう。多分、教養を深めるためとかいう有りがちな理由だと思います。大学生の期間は本当に教養を深めるだけでいいのか。まず、教養ってなんだ?とか色々疑問が湧いてきました。最終的に、教養は使うためにあるのであり、自身の思考や考え方を補強するものではないかと考えました。今までは、書店で色々本を見て、これ面白そう!と惹かれたものを読んでいました。そして、その本を読む理由は面白そうだからです、または、本を買った後に、その本を読む目的を考えていました。でも気づいたんです。普通、目的ありきの本セレクトですよね。もちろん、面白そう!是非読んでみたい!っていう理由で本を読むことは良いですし、娯楽や趣味としては十分すぎる理由です。ただ、私は、趣味や娯楽でも本を勿論読んでいますが、それ以上に教養を深めるために読もうとしていたはずです。そこで、これからは勿論読みたい本や惹かれた本も読んでいきますが、教養深めるための読書としては、自分の将来関係についてしっかりと考え、その考えを補強したり改善するべく本を読んでいきたいと思います。

それに関わって今後は教養を深める目的の本を読む際は、自分の将来についての考えをこのブログで見つめ直し、もっと考えなければと思った点について書かれている本をアウトプットしていこうかなと考えています。とりあえず、積読書がなくなるまでは今までの方針で行きますし、積読してある本でも、考えを強化するために本であれば、新しい方針で書いていきたいと思います。

めちゃくちゃ書き殴りでメモ感覚で今回ブログを書いたのでいつも以上に拙い文章かとは思いますが、これからこ文章力も向上させていきたいと思いますので(言うのn回目)どうぞお付き合いくだいさい。

とりあえず、「読書について」を読み切りまーす。