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乱読のセレンディピティ

お久しぶりです。コロナの影響で自宅に籠っているにも関わらず、読書ができていなかった探究者です。読んでいる途中で、この本を最後まで読み切る必要が本当にあるのかを考えた結果、途中まで読んで切り上げることにしました。読んだところまでまとめていきたいと思います。

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乱読のセレンディピティ

まず、この本を読もうと考えた動機です。主に2つあります。1つ目は、読書についての考え方を固めるためです。前回ショペンハウエルの「読書について」を読み、どのように本を読むべきなのかを考えさせられました。その考えを補強すべく、この本をチョイスしました。2つ目は、著者が外山滋比古氏であったことです。以前、外山滋比古氏の「思考の整理学」を読んで発想の豊かさに驚かされたので、そんな外山氏が読書についてどんな考えを持っているのか知りたくて読みました。

仮説づくり

目標

乱読のメリットを知り、「読書について」などの内容と照らし合わせてどういった読書形態が自分にふさわしいのかを考える。

目標までの道筋

乱読の良さを学び読書にどう取り組むべきか学ぶ。

スタート地点

乱読はするべきではなく、毎回自身の考えを持ちその補強材料として本を読んでいくべきである。

整理読み

本はやらない

本は身銭を切って読むものであり書評など気にせず乱読するべきだ

悪書が良書を駆逐する?

良書と悪書を見分ける力を養い取捨選択して良書を読むべきである

読書百遍神話

精読し、内容を忘れたからと言って無理に読み直す必要はない。

読むべし、読まれるべからず

無闇に活字を読み知識至上主義になるのではなく思考力も併せ持つ

風のごとく…

速読が至高ではないがある程度スピード感を持って読むべきだ

乱読の意義

ジャンルに拘らず未知の領域の本をどんどん乱読していくべきだ

セレンディピティ

乱読することによってセレンディピティが起きるため乱読すべきだ

「修辞的残像」まで

乱読をすることで修辞的残像が生まれ理解しやすくなる

読者の存在

能動的に本を読み思考しながらの読書がセレンディピティに繋がる

エディターシップ

書籍という一次的創造以上に読書という二次的創造が大切である。

母国語発見

三者の感想や意見を客観しすることでセレンディピティが生まれる

本全体のまとめ

乱読することがセレンディピティにつながる。乱読する際は、書評などにとらわれず、長期間かけて読まれるような名著を読むべきである。読んでいる途中に自身が考えていたようなものと違ったりしたら、乗り換えるということも一つの手である。内容を忘れたからと言って再度読む必要はなく、未知の領域の本を積極的に読んでいくべきである。

最後に

読んでいる時、ショペンハウエルと同じようなことを言っており、やはり名著を読むべきだと感じました。短期間において有名なだけではなく、長期間において有名な有意義な本を選択し身銭を切って買い、乱読していきたいと思いました。