非常にお久しぶりです。知の探究者です。(知の探究者って名前っぽくなくて替えたいと思ってお年頃)
今回は前回のブログでも、お話した通りショウペンハウエルの「読書について」という本を読んだので、アウトプットしていきたいと思います。
まず、この本を読もうとした動機について述べていきたいと思います。
私は大学生になったころから、教養をつけるために読書をすべきだと思い、読書をしてきました。私は、多読を良しとして、読めば読むほどいいんだと自分で思っていました。実際、書店で並んでいる本に目を通せば、読書について書かれている本はほとんど、多読をよしとするものです。しかし、本当にそうなんでしょうか。読めば読むほどいいんでしょうか。そんな疑問が僕の中に湧きました。そこで、今回読書に批判的な本にこうして出合い、読もうと決めました。
ここで、一度著者であるショウペンハウエルについてまとめたいと思います。というのも、私自身読み始めるまで誰かわからず、調べたらかなり著名な人物であったからです。皆さん大好きなWikipediaを参照して、軽くまとめていきたいと思います。
ショペンハウエル(1788-1860)
世界を表象とみなしてその根底に働く「盲目的な生存意志」を説いた。この意志故に経験的な事象はすべて非合理的であり、この世界は最悪、人間生活においては意志は絶えず他の意思によって阻まれ生は同時に苦を意味し、この苦を免れるには意志の諦観、絶滅以外にないと説いた。この厭世観的思想は19世紀後半にドイツに流行し、ニーチェを介して非合理主義の源流となった。
では、まとめていきたいと思います。
仮説づくり
目標
読書について今一度見直し、自身が何のために本を読んでいるかを考え直す。
目標までの道筋
本を読むことに対して肯定的な本ばかりを読んでいたが批判的に書かれているものを読んで実際どうするべきなのかを考える。
スタート地点
読書こそ至高。読書最高。
整理読み
思索
本来は自ら思索するべきであり、多読に走るのは愚かだ。
著作と文体
簡潔に書こうとするあまり言葉の本質が失われている傾向がある。
読書について
読書は自分で思考せねば思考力が衰える。名著を読むべきである。
全体のまとめ
時間は有限であるため、悪書を読まずに良書を読むべきである。流行に乗って数年で忘れ去られるような本を読むのではなく、何年も読み継がれるような本を読むべきである。また、単純な多読を良しとせず著者が述べている意見に単純に乗っかるのではなく、自分dえ考えて読まなければ思考力が鈍ってしまう。
最後に
この本が私の考え方に与えた影響は前回のブログで書いた通りです。もちろん、この本でさえ、ただの名著の一冊に過ぎず、鵜呑みにしていては、他人の思考法にのっかる愚かな読者となってしまいます。自分の考え方をちゃんと持って、本を読んでいきたいと思います。